市内郊外にある岩波銭湯の番台の女将は美人として通っていた。
年齢の事をとやかく言えば、たいがいの女性には失礼とされるが、その女将だけは別格と誰もが口を揃えて言う。
28歳にして、所作は初々しいく淑(しと)やかで、それでいて肌の瑞々しさは20代前半と見紛う美貌を兼ねて持ち合わせていた。
一児の母親でもある彼女は名を椎名由梨子(しいなゆりこ)といった。
彼女が毎日欠かさず、化粧台へ向かいささやかながらメイクを施す。
旦那を亡くしてからも今も女房としての操を守りつつ、それでいて女としての身嗜(みだしな)みへの気配りを忘れた事などない。
それは、妻として、旦那への愛情と亡き亭主へ恥をかかせてはならないと、古風な性分からくるものであった。
由梨子は最後に薄っすらと眉を引いた。
すると表情にアクセントが映え、表情が綺麗に引き立つ。
バランスのとれた瓜実顔にスラリと鼻筋の通った表情は岩波銭湯の番台の看板である。
黒絹の艶を備えた髪は肩までかかり、それを後ろで一つに束ねる。
銭湯に訪れる客に不快を与えないよう落ち着いた身形を整えても、なお余りある麗姿に訪れる客は息を飲む。
由梨子が鏡台を閉じようとすると、鏡越しに、愛娘の琴恵(ことえ)のヤンチャ振りが目に入った。
隣のダイニングにあるイスに上り、背もたれを跨いで、退屈そうに母親の支度を待ちわびているのだった。
「お母さん、まだ〜…。」
そう言う子供は片足を上げてふざけた格好をする為、スカートは捲れ、白いパンツが見えていた。
「こら、琴恵ちゃん、女の子なんだから、もう少しおしとやかにしてちょうだい。」
由梨子は溜息を吐く変わりに、いつも愛娘に“女性らしく”を躾ける。
娘は7歳になり、3か月前に小学校に入学したばかりであった。
亡くなった旦那と結婚したのは、由梨子が二十歳の時の事であった。
それから間もなくして、琴恵を出産、目一杯の愛情を注いできた。
旦那が亡くなったのは、琴恵を出産した直後であり、苦労して女手一つで、今日までやってきた。
琴恵を見ると、つぶらな瞳が旦那の面影を色濃く残し、それを心の支えにしてきた。
しかし、もう一つ。
同時に、父親さえ知らないまま、大きくなってゆく娘に一種の忍びなさを覚えてならなかった。
それ故、由梨子が父親の役目を担い、なおさら娘に優しく、時に厳しく接していかなければならない責を感じていた。
由梨子は、しわくちゃになった娘のスカートを手で整えた。
「さあ、琴恵ちゃん行きましょうか。」
娘を促すと、由梨子はカバンを取り、玄関を出た。
毎朝、由梨子は学校に行く娘を途中まで送り届け、そこから別れ、お店へ向かう。
忙しい合間の僅かな時間はいつも二人の団欒だった。
「ねェ、お母さん、今日は琴音が日直なんだぁ。」
手をつなぐ娘が隣の母親を見上げて言った。
「へ〜そうなんだ…。」
由梨子は愛おしそうに微笑んだ。
琴音はその穏やかな笑みが好きだった。
銭湯が閉店するのは深夜23時になる。
毎日遅くまで働き、汗にまみれ、疲弊を抱えた母親もこの時だけは、優しさに満ちた太陽の様であった。
自宅アパートのある住宅地から続く道をゆくと、幹線道路に突き当たった。
そこを境に琴音は右に、由梨子は左に分かれてしまうのだ。
「それじゃ、ちゃんと日直さん、がんばるのよ。」
そう言い母親は娘の背中を見送った。
暦は7月を迎えていた。
初夏の熱せられた風が肌を撫でてゆく。
由梨子の白い半袖のTシャツから出た二の腕が微かに汗ばむ。
男性とすれ違う度、彼らの視線が、由梨子の張り出た豊満な胸の膨らみを捉えてゆく。
日差しがその肉房の上辺を照らしながら、重量感を蓄(たくわ)えた房底に影を下ろしていた。
中には一度振り返り、女の背後へ視線をやり、Gパン越しの熟した下半身を眺める。
彼女の整った臀部から2肢を観察する不埒な輩がいるのだった。
甘く熟れ張った果実に食らいつく、まるで野獣の様な視線が彼女に注がれる。
好みの男性とすれ違ったり、声をかけられたりした事を思い返せば枚挙に暇がない。
嘘偽りなく言えば、そうした時には決まって、メスである女性の性が疼くのを感じていた。
しかし旦那が他界し、もう7年の歳月、彼女は女として咲く夜など皆無であった。
暴れ出しそうな衝動を自身のワガママと戒め、由梨子は凛とした理性で性根をなだめ、今日まで清らかな身を守ってきたのだ。
それはやはり、前述の夫への想いがあったからで他ならない。
淫猥な視線を潜り抜け、十分ほど歩くと、お店に辿り着いた。
カバンから店の鍵を出すと、扉を開いた。