「おい!高島!先週頼んでおいた書類、いつまでかかるんだ!」
オフィスに桐生部長の怒声が響いた。
「もう金曜日だぞ!来週には書類が必要だと言っただろう!」
「…え…!?」
「モタモタするな!すぐにオレの机まで来い!」
そういわれ、高島は企画課の奥まで足を運んだ。
高島智光(たかしまともみつ)26歳。
W大学工学部電機工学科卒業後、就職難という時代の背景もあり、希望した職種には就けなかった。
10社以上面性をして、ようやく内定をもらえたところは、工学部も電気学科も関係のない玩具メーカーであった。
その企画&マーケティング部に配属されて、今年で3年目になる。
思い返せば、入社した初日から部長の叱責を受け続けているのだ。
“高岡”の呼び声を聞かぬ日はない。
この日も違わず、午後から部長の説教が始まった。
どうやら、説教の内容は智光が先週、部長から与った仕事の書類を一向に仕上げて持って来ないと言う事だった。
「いや…その…。」
智光は何かを反論しかけて、口をつぐんだ。
“実は、二日前に部長に渡しましたけど…。”
そう言いかけ、しかし部長の剣幕に圧倒され、何も言えなかった。
書類の事は完全に部長が失念しているのだ。
時折、部長の机の上に目を這わせるが、積もる書類の中に0角の茶封筒は見つからなかった。
(ああ、きっと部長がどこかに仕舞ったままなんだ!)
智光は怒声を浴びながら、ただ下を見ているしかないかった。
説教が終わったのは、20分以上しての事だった。
「もういい!席に帰れ!」
吐き捨てるように言った言葉で、智光の束縛は解けた。
“間違っているのは、部長なんだから、はっきり言えばいい!”と言う人もいるが、智光の場合はそれだけではなかった。
(まったく使えない若手だ!)
去り際、部長が心の中で強烈に思った事が、智光の中に入り込んできた。
SFの世界では“思念”などと表現されている人間の精神エネルギーだ。
血管の中を血液が流れるように、神経の中にも人間の思考や感情が流れているのではないか。
それが、どういうわけか、相手方が強く感情を込めれば、第六感の強い智光の脳内に流れ込んでくるのだ。
まるで、どす黒い黒煙が智光を包みこんだようになって途端にむせて気分が悪くなる。
さしずめ、自分への悪口を聞かされた時ように、己に向けられたマイナスの思念は気分の良いものではないのだ。
なんとか、部長の否を証明できる術はないものかと、帰り際、同僚の冷ややかな視線をかいくぐりながら、思案をめくらせてみた。
(他人の何倍も強い“力”に苛まされ、生きていくのはとても割に合わない…。)
そう思うのは常であった。
定刻の5時を回ると、終業となる。
毎日、この時間を待つ為だけに、朝からオフィスに軟禁されていると言っても過言ではない。
智光は、今日の分の仕事を片付けて5時半にオフィスを出た。
陽は西の稜線へ潜みかけ、琥珀色の紗が空を覆っていた。
帰省ラッシュの雑踏がその僅かな光の残滓を受け歩道に溢れ返っている。
智光は人壁に堰止められながらも、足早に隙間を縫い歩いた。
オフィス街の通りを抜けると、賑わいを持つ繁華街に出る。
彼は今日も、ビルの一階にあるレンタルDVDショップへと入った。
先日借りていたDVDの返却と、今日、新たにDVDを借りようと思い立ち寄った。
仕事以外に人生の楽しみの比重を持とうとする姿勢は、日本のサラリーマンの典型像と言ってもいいだろう。
智光の日課は、大好きなDVDを数本続けて見る事と、そして大好きな電機工学の勉強を自宅で続ける事だった。
世間ではこういった連中を“オタク”と呼んでいるが、そんな事を気にしたことはい。
店内を一巡すると、彼の手には、アダルトDVD2本と、リリースされたばかりの洋画1本が乗っている。
そして、最後に足を止めたのはアニメのコーナーであった。
何を借りようか少し、思案した後、彼の取ったDVDは“名探偵コ○ン”だった。
この作品は、探偵扮する少年が推理を重ね、難事件を解き、犯人を追いつめてゆくストーリーなのだが、智光にとってそれ以上の魅力は、その少年に力添えする博士と呼ばれる研究者であった。
その発明品を主人公が使う事によって、物語が飛躍的に格好よくなるのだ。
電機工学科を出ながらも、志望の職種に就けなかった彼にとって、物語に登場する博士は自身の理想に限りなく近かったのだ。
それらのDVDをカウンターも持っていき支払をすませると、智光は店を出た。