602号室の病室のドアを開けると、最手前のベッドに父親が寝ていた。
剛は菜々子に連れられ、共に父の病室に来た。
父は首にコルセットを巻いて、身体を固定させられていた。
事故は通勤途中、父の運転する車が赤信号で停車中に後続車に追突され、しかし、幸いにも首を鞭打ちであったとの事だった。
病室の父は、上半身を斜めに起こし、雑誌に目を落としていたが、剛と菜々子が部屋に入ってくると、雑誌をたたみ、菜々子に目で挨拶をした。
「お父さん…。大丈夫!?」
そう言いながら、剛は父の懐に駆け寄った。
「心配するな、時期退院できる。」
父はそう言い、子供をなだめた。
「大丈夫ですか?大変な事だったみたいで…。」
菜々子の憂う言葉に父は、申し訳なさそうな表情で恐れ入りますと言った。
「早く良くなって下さい。」
一言お見舞いを言うと、菜々子は続けた。
「そうだ、さっき剛君とも話たんですが、当分は剛君の世話は私の方でやりますので、心配しないでください。」
その申し出を聞き、父は戸惑いを見せたが、今の自身の身の上を省みると、病室で縛られていては何も出来ない事を思い知った。
「重ね重ね、申し訳ありません。」
そう、言いながら、父は菜々子の温情にすがるしかい、無力な自分が情けなかった。
病室を後にした剛は父親の病状を知ってか、いくらか落ち着き、菜々子にようやく笑顔を見せた。
「よかったぁ…。」
そう言った剛の言葉には、父親に対しての安堵と共に、これから菜々子と一緒に過ごせる時間に期待した言葉であった。
「お父さん、早く元気になるといいね。」
「うん!」
そうしながら、菜々子は剛の手を取り、繋いで病院を出た。
菜々子も同じく、剛の父の病状が軽い事に、胸を撫で下ろしていた。
彼女が剛の世話を申し出たのは、幼くして母親を失った剛の心中を慮っての事であった。
それは、菜々子の両親が小学生の頃、離婚してしまい、それ以降、父親に引き取られ、今日まできた自身の経緯があるからで他ならない。
片親である事の悲しみや辛さは誰よりも、知っている。
そうした温かく母性的な眼差しを菜々子は剛に無意識ながら向けていた。
アパートに着くと、陽は暮れていた。
二軒おきにある、アパートの廊下の外灯が灯り、白くぼやけていた。
菜々子は鍵を出し、自宅のドアを開けた。
「ねぇ…剛君。着替えだけ持ったら、ウチに来なよ。学校の宿題もウチでやればいいから。」
そう言われ、剛は言われた通りに、必要な物だけを持ち出し、彼女のウチに上がりこんだ。
菜々子宅のドアを開くと、当然ながら、剛宅と同じ間取りであった。
玄関で靴を脱ぎ、短い廊下を抜けるとダイニングキッチンがあり、その奥には6畳程の部屋が2つ左右にある。
菜々子が越して来て二週間、部屋の片隅には、まだ封の解かれていない荷がダンボールで3.4箱重なってあるが、それ以外、生活に必要な物は大概が整理され整っていた。
「ごめんね。大学が忙しくって、まだ雑な部屋だけど…。」
そう彼女は謙遜を見せたが、正直、綺麗に掃除も行き届いていた事に剛は菜々子に対しての印象を良くするばかりであった。
そうしながら、菜々子は奥の右手の部屋のドアを開けた。
そこには、フローリングにカーペットを敷き、テーブル、ソファ、テレビやオーディオが並んでいてリビングを担っていた。
2つある奥の部屋の仕切りは、現在開け放たれており、左に位置する部屋へと視界が開けていた。
そこには、ベッドが据えてあり、寝室とわかる区分けがなされている。
「今から夕食の準備するから、それまでここで、宿題していて…。」
そう菜々子は剛を促し、リビングに入れ食事の準備に取り掛かった。
夕食はカレーだった。
剛にとって他人のウチで食事をする事自体、初めてであり、父親以外のつくった料理を初めて目の当たりにした。
それは、とても優しい味だった。
父親の作るカレーはじゃがいもや、人参が大きくブツ切りにしてある。
そんな大胆な男の料理ではなく、具材は剛に口に合う様、程よい大きさに切りそろえられていた。
「ねぇ、美味しい?」
「うん!!」
剛は大好きなお姉さんに、笑顔を見せて答え、彼女も剛の返事に素直に喜んでいた。
「ねぇ、剛君!今日から、ウチで寝泊りしていけばいいからね…。必要なときだけお家に帰ればいいから…。」
その菜々子の言葉に剛は頷いた。