スーツの上からでも見映える胸の膨らみ。
くびれた腰の魅惑が男の最後に得た眼福であった。
その刹那、月夜に銃声が響き、風の音(ね)がそれをさらった。
繁華街の一角に位置する雑居ビルの屋上で一人の男性が撃たれ、倒れたのだ。
それを見届けた女は踵を返し、夜空へと跳躍した。
漆黒に浮かぶ満月の中をロングヘアが、まるで彗星の尻尾のようになびき、その影はビルからビルへと移り、姿をくらませた。
翌日の早朝、その男性は発見された。
意識を失ってはいたがこれといった外傷は見当たらなかった。
ただ、男の傍らには、花束が落ち、カードが添えられ、そこに、この男性の犯した罪名が、明るみに出ていない物まで含め、余す事なく記されていた。
婦女暴行罪6件・窃盗3件・恐喝13件。
しかし、それ以上に注視させられたのは、カードの右下へ一つのキスマークが施されていた事だった。
「隠密…!」
それを見た捜査員は絞り出すような声で言った。
『それでは、現場の向井さん。現在までの状況はどのようなものだったのでしょうか?』
『はい!こちら現場の向井です。男性には目立った外傷は見当たらなかったという事です。気になるのは、現場に落ちていた文書です。会見の発表によれば、男性は取り調べにも素直に応じ、犯行を認めています。しかし、一体、誰が男性を打倒したのか?これが昨今、騒がれている隠密の仕業なのか、因果のほどは不明です。』
昨日の事件が朝のニュースでも報じられていた。
蓮音瞳(はすねひとみ)は朝食を摂りながら、それを見ていた。
我ながら昨日の仕事が上手くいった事への満足が表情にも浮かんで、無意識に見入っていたのだ。
「こら!瞳!そんなにゆっくりしていると講義に遅れるわよ!」
母親の叱責が飛んだ。
ちょうど、2つ下の高校へ通う妹へ弁当を手渡しながら、瞳へ向けて言った。
「大丈夫よ!今日の講義は2時限目からだわ!」
瞳は手にしている食パンの残りを口に含みながらゆるりと振る舞った。
「それに、もう高校生じゃないんだから…。」
彼女はの眉をハの字にし、苦笑してみせた。
「そう、それならいいんだけど。」
「お姉ちゃん、なんだかズルイな!自分の好きな講義ばかり取ってそれで卒業できるなんて…!」
「ほら!アンタはそんな事ばっかり言ってないの!」
母に押され、出かけ際に妹は羨ましそうな目を姉に向け、姿を消した。
「あら!自由と責任は背中合わせよ!」
そう言いながら、瞳はカップのコーヒーを飲んだ。
しかし、思えば瞳は幼い頃から落ち着いたというか、大人びた雰囲気を持っていた。
昔から変わらない肩までかかるロングヘアが、そう感じさせるのか、それとも整った目鼻立ちがそうさせるのか。
肌は透白であり、鼻は形良く、スラッと筋が通り、唇は均等な厚みで透き通った朱色を洗練された容姿の持ち主であった。
特にアーモンド型の二重瞼は相手を吸い込むように魅了する力を秘め、素顔は女性の美しさの手本のようだった。
カップを空にすると、「さて!」と一人事を言い、彼女も支度に入った。
自室へと行き、着替えながら、ふと机上のケータイを見ると、一通のメールが来ていた。
『隠密へ…!』
仕事の依頼であった。
仕事の依頼に関しては、依頼客の素性も分からなければ、逆に実行者の素性も客には知らされない。
この場合、実行者とは瞳の事を言うのだが、彼女へメールを寄越す直接の人物は組織なのだ。
つまり、組織が客と実行者との間に入り、仕事のやりとりを行う。
お金の問題・情報の漏洩・任務の成否。
一切を取り仕切っている存在が組織であった。
瞳に与えられる物は隠密としての資格だけ。
それは2つ。
1つ目は組織の製造した特殊な武器を使う権限。
先の男性を打倒した際もその武器の特殊性がものを言った。
ターゲットを撃ったにも拘わらず、弾痕は出来なかったゆえ、警察は証拠の残らない事件に手も足もでない事だろう。
そして、2つ目は常人離れした身体能力。
隠密は、任務を遂行するにあたって、鍛え抜かれ、秀でた身体能力を組織より相伝され、例の特殊武器との相乗的な作用が隠密の力の全てと言っても過言ではない。
瞳は仕事着を持つと、速やかに窓外へ飛び出した。
隠密としての仕事の内容は大きく分けて3つに分け、ハンティングと呼ばれるターゲットを狩猟するケース、諜報、その他となる。
特にハンティングに関しては、熾烈な戦闘も想定され、隠密の個々の能力が最も如実に明暗を分け、依頼の実に8割を超える最重要任務と言える。
今回の任務もそれに違わず、ある人物の暗殺の依頼であった。
ターゲットは海原喜一(かいばらきいち)。
データによれば、ある大企業の会長職に着いている45歳の男性。
クライアント筋の話では裏でインサイダーな取り引きを行い、莫大な資産を形成しているとの事だった。