「ほら、香帆里(かほり)〜!」
「あ、は〜い!」
看護婦長の呼ぶ声であった。
浦賀香帆里(うらがかほり)が返事をすると、病院の廊下にはまるでキラキラと輝く清流のような空気が辺りを包んだ。
「それじゃ、村田さん御大事に…。」
ナース帽を被り、ロングヘアを後ろで括った頭が会釈をすると、すぐに彼女は声の主の方へと駆け去った。
R病院は、医科数27。
105室500床を持つ市内では大きな総合病院である。
重い病気や事故の入院、ご近所さんにいたっては風邪の診療などにもここを使っているのだ。
それゆえ、廊下にはいつも人が絶えない。
4・5歳の子供がお気に入りのおもちゃを抱えて母親と手をつなぐ姿。
車椅子に乗って親しくなった同年代と会話に花を咲かせる老人の姿など、目配せすればそこは病院の暗澹たる雰囲気とは大きくかけ離れた幸せな日常を垣間見る事ができる。
それがこの病院の魅力の一つであった。
香帆里は小走りで看護婦長の元へ寄った。
「こら!廊下は走らないって注意したでしょ!?」
「あ、すいません!」
看護婦長は眉をハの字にしながらも、微笑してみせた。
「あなたのすばらしい所は天真爛漫な所!でも頑張りすぎると逆に自分が怪我をしてしまいます。患者さんに笑われますよ!」
彼女は香帆里を背中に引き連れて歩きながら話をしていた。
「それから511号室に新しい患者さんが入ったの!」
「はい。」
511号室は香帆里の担当病室であった。
「15歳の中学生よ。名前は野田修(のだおさむ)君。カルテをセンターの方で受け取って顔見せしてちょうだい!」
婦長の口調は、九九でも並べるように早口なのだ。
香帆里を置き去りにし、さっさと先へ行く、彼女を追い、香帆里は小走りに追いついた。
「医療の現場では、迅速な行動を心掛けて!」
「はい!すいません!」
二人はそろってナースセンターの方へ歩いていった。
病室の5階は中〜長期入院の患者がメインになる。
その中央に位置する広間で511号室の長期入院組の4人が長椅子に腰を下ろしていた。
3人ともが60歳になろうかという年齢である。
その中で48歳、飯沼直治(いいぬまなおじ)が、中年とは思えない屈強な身を乗り出し、今しがた、目の前を過り去った香帆里の姿を見て表情が緩んだのだ。
長く艶やかな漆黒の睫毛は、くっきりとした二重瞼を縁取り、形のよい小鼻、ぷっくりと色づいたさくらんぼのような唇に男の意識は吸いこまれそうになる。
天使のような美麗な横顔であった。
「おや、アイドルの登場だよ…。」
まるで見舞いに訪れた孫でも見るように穏やかに言ったのは、65歳の福島勲(ふくしまいさお)であった。
「まあ、ワシらはとうに枯れておるから…。」
「うんうん…。」
山川の言った言葉を近藤が引き取り頷き。
しかし、彼らのように、歳老いてもその胸に甘美なくすぐったさを覚えるのは、やはり香帆里の魅力といってよいのではないだろうか。
「入院が長くなると女っ気が無くなるからいけねェや!」
四角い顎を撫でていた手を頭にやり、苦笑するが、しかし飯沼のパジャマの股間はムクリと隆起していた。
香帆里の“味”を思い出したのでる。
「ほんに、あんな可愛らしい娘が…。」
山川の爺はいまだに信じられないと言った様子であるが、飯沼も初めて香帆里の噂を聞いた時には耳を疑った。
それが今では、彼女の虜である。
即ち、浦賀香帆里の肌を知った者なのだ。
〜パイずり天使〜
短い滞在では耳にする事もなかろうが、入院歴の長い男性患者の間では真しやかに語られる香帆里の噂であった。
「さ、そろそろ我々も…。」
「そうじゃな!そろそろ昼食の運ばれてくる時間じゃて…!」
飯沼の声に促され、4人は立ち上がり自身の病室へ足を運んだ。