〜愛の在り処〜



春日井は顔面を真っ赤に紅潮させ、学長室のドアを壊す勢いで蹴り開けた。
「一体、どういう事だ!!」
それが、室内にはいって言った彼の最初の言葉であった。
春日井の後ろで、部下の日村も付き添い、険しい表情を投げていた。
学長室は先日と違い、僅かに殺風景に見受けられた。
その部屋を切り抜く窓から外を眺めていた学長は、春日井が来る事を知っていたかに、落ち着き払い、視線を入り口に寄越した。
学長の表情は穏やかに、春日井へ一礼をした。
「どうゆうつもりなのだと、聞いているのだ!!」
それに、学長は一間置き、
「私にあれを流す事はできませんでした…。」
「DVDの中身を見たのか!?」
その問いに学長の返事は無かったが、表情がそれを語るのに十分であった。
「俺は、貴様らへの、融資機関なのだ!!これが、どういう…!!!」
春日井は驚きと怒りと、期待が泡沫(うたかた)となって消えた空虚感で言葉が潰れていた。
学長を、大学を、そして、タモツとその彼女をねじ伏せ、完全な勝利が我が手に降ってくるものと確信していた。
それが今、蜃気楼と同じく空となったのだ。
「私は…。」
そう学長が春日井の顔を見ながら口を開いた。
決して険しくなく厳つくもない、穏やかな表情で語った。
「私は、経営者である以前に、教育者である事を思い出したのです。そして、あなたを見て、私は教育者としての未熟を悟りました。」
「経営者にも、教育者にもなれないのなら、貴様は取り得のないクズだなぁ…。」
日村も堪忍耐えかねた様に口を開いた。
「だから、すべてを放棄する事がお前の結論なのか!?」
春日井は眉を潜め怪訝な表情をした。
学長の真意を図りかねていたのだ。
「私に出来る事は身を挺して、あなたを救う事しかできませんでした。すいません。」
その時、学長の目から頬に一筋涙が伝った。
学長の立場に拘らず、彼は春日井に頭を深々と下げた。

コツリ、コツリと長い廊下を二つの足跡が引き返していた。
「話になりませんね!我々がチャンスを与えてやっているというのに!ああいった負け組み思考の人間とは付き合わない方が懸命ですよ!」
日村は春日井の後を付いて、学長を馬鹿にする口吻だった。
しかし、春日井の耳には入っていないふうで、彼の眼差しは険しさを放っていた。
そうして、歩みを止め、学長室の閉ざされたドアを振り返った。
落城した本丸が、最後の来客を見送っている。
微かに唇を噛むと、再び春日井は前を向き歩き出した。
「俺は、負けたのか…!?」
春日井は宙に問う様に独り言を呟いた。


春日井は、桜崎大学の跡地に来ていた。
いつもなら、今頃は卒業の季節で、大学の入り門に向かう桜並木には、満開の桜が謳歌し卒業生の笑顔と共に笑っている。
しかし、それも、いまはもう無い。
更地になった広野が稜線に沿い両手に広がっていた。
卒業式の日から5年の月日が経って、目の前の広々とした世界を見て、あの日自分は負けていたのだと受け入れられる様になった。
そして、彼は教育者として、精一杯春日井を愛したのだ。
あれから毎年、男はこの季節になると、ここにやってきては、意識を水中に漂わせた。
実は男にとって、母親との微かな思い出が記憶の片隅に残っており、その残滓(ざんし)は水面に浮き上がる分けでもなく、深海に沈むわけでもなく、その中水を漂った。
あの時見た、学長の涙は遠く記憶の奥深くに埋没したはずの、母親の温もりを欠片ながらに感じさせるものであった。
ゆらり、ゆらりとした憧憬は水面に浮き上がる動機もはっきり見えない。
深海に再び引き込まれそうでもあり、その気になれば、水面に顔を出せそうだとも感じた。
男は思う。
どうやら、その答えを見出せる日はもう少し先になりそうだ。
彼の凍てついた世界が暖かな日差しに少しずつ氷解していた。


完。



                                                                     
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